第三十語「供花」

「供花」みなさんはこの言葉をどう読みますか?多くの方は「きょうか」と読まれると思いますが、仏教的な読み方(呉音読み)では「くげ」と読みます。意味は読んで字の如く「お供えする花」の事です。

供花は仏教においてとても大切な行為の一つであり、功徳を積む為に行なったものです。本来は棘のある花、香りの強い花は避けられていましたが、今日では葬儀でもそのような花を見かけるようになりました。彼岸の時期になると色とりどりのお花がどこのお墓にも上がり、その光景は圧巻であります。

今回、供花について取り上げたのは理由があります。ある時、供花についてネットで調べていると造花に関する記述がありました。「お仏壇やお墓に造花をあげてもよい」と言われるものです。仏壇店や石材店などホームページでも「造花をお供えすること」を肯定的に捉えているものが多くありますが、私は賛成できません。その理由ですが、「供花=功徳を積む」であると書きました。そして、そのお花は「仏様のお飾り」であるのです。つまり、単純な話、造花は偽物(作り物)ですから、積む功徳が偽物でいいのか?仏様のお飾りが偽物でいいのか?ということになるのです。

そしてもう一つ、供花が生花であるべき理由があります。生花は枯れますが、供花に生花を用いるのは仏教の根本思想である諸行無常を表しているのです。諸行無常は「この世の全てのものは絶えず変化をしており止まることがない」という意味でみなさんも一度は聞いたことがあるかもしれません。「聞いたことがある」「意味は知っている」という人はたくさんいますが、「自分も諸行無常の中に生き、自分自身もまた諸行無常である」と感じている人はほとんどいないでしょう。自分では中々気づくことができませんが、私たちはこの瞬間瞬間に変化をしています。一秒前の自分と今の自分は違うのです。

以前、墓前で法事を勤める方がこんなことを仰っていました。
「昨日、お墓の掃除に来た時にお花をお供えしたのですが、もう少し枯れているんです。」
せっかく買ってお供えしたお花が法事の前に枯れているというのは残念なことかもしれませんが、実はこれが大切なのです。「供花は仏様のお飾り」と書きましたが、供花を通して諸行無常を私たちに知らしめしてくださっているのです。そのような意味からも、普段、「諸行無常を他人事と考えている私達が我が事と捉え自分の生き方を見つめる」それがお墓参りの大切な意義であり、お墓がそのような場所であるのは先立って行かれた人も望まれていることと思います。

365日いつも生花をお供えすることはできませんが、皆さんが都合がつく時にはお墓参りをし供花をしたいものです。八王子浄苑管理事務所では供花、お墓の掃除の代行をを行なっております。管理事務所までお気軽にお尋ねください。