第二十四語「いいかげん」

4月は心身共に疲労しやすい時期です。入学と卒業、就職と退職というように環境が変わって間もない時期であり、同時に季節の変わり目でもあるのでどうかご自愛ください。

心身が不調な時にどうすればいいか?それは「いいかげん」なる事です。日本人は根が真面目ですからこの言葉が好きでないかもしれません。しかし、漢字で書いてみると・・・

「良い加減」

言葉に対する印象が180度変わりませんか? 実はこれが大切なのです。物事や状況そのものは変わっていないのに私の視点が変わる。例えば、ある嫌な事が「嫌だ、やりたくない」から「逃げていた私の視野を広げ成長させてくれる大切なもの」というように見方が変わると、その嫌な事が少しは軽くなるかもしれないのです。仏教とは、決めつけていた私の視点が変わっていく教えであります。良いも悪いも、好きも嫌いも、決めているのはあなたの心です。

では、「私にとっての良い加減」とはどういう事でしょう?お風呂の温度が熱いのが好きな人がいれば、温いのが好きという人もいます。同じように「良い加減」は人によって違うのです。「そんなの当たり前だ!」と誰もが思うかもしれません。でも、私達は、人それぞれ能力も財力も違うのに(=「良い加減」は違うのに)他人と比較しようとします。「他人が○○だから、私も○○であるべき」という考え方はもう「良い加減」ではないのです。(このあたりの話は前号の「第十二話 世界に一つだけの花」をご一読下さい)。

今の自分の生活を振り返ってみてください。「無理してるなあ」と感じるならば、それは良い加減ではないのです。勿論、現代の生活では無理をしなくてはならない事はあります。しかし、それは「今日だけ」「あと一週間」「この仕事が片付くまで」という期間限定の無理であるべきです。いつ終わるかわからない無理を続けるものほど辛いことはありません。そして、それは長続きしないのです。無理は「理(ことわり)が無い」と書きます。理は、ここでは「私が本当にあるべき姿」と言ってもいいかもしれません。つまり、私の本当の姿でないのが無理なのです。自分の幸せの為だと思って無理をして体や心を壊してしまったら本末転倒ではないでしょうか。

無理をして生きる、おそらくその先にあるのは多くの場合、お金ではないでしょうか。お金の為に無理をする。それは「お金=幸せ」と考えるからです。しかし、お金があるから幸せとは限らないのが世の中であり、「お金が私を幸せにしてくれる」という幻想から目を覚さない限り、本当の幸せには出遇えないでしょう。間違っていただきたくないのは、お金を稼ぐ事を否定しているのではありません。お金は大切なものでありますが、お金に執着した生き方では幸せにはなれないのです。

私は歳を重ねる事に少しずつ「いいかげんの大切さ」を感じるようになりました。良い加減は人それぞれ違うのも勿論、その人の中でも年齢や体調によって変化しているものです。ですから、常に自分自身と向き合って、対話して、自分のいいかげんを探っていく事が大切です。私達は体のケアは割と気が付きますが、心のケアは疎かになりがちなので。いいかげんは悪い事ではありません。今のあなたに必要なものなのです。