第二十七語「血液型」

私は海外での生活経験があるのですが、日本人であるが故に聞かれる質問というのがいくつかありました。

「日本人は普段和服は着ないのか?」
「たくあんは何故黄色い?」
「日本と中国は同じ文字を使うが意思の疎通はできるのか?」

考えもしない角度から様々な質問が飛んできては答えに困ると同時に、日本人として日本を見つめ直すいいきっかけとなりました。しかし、中には理解ができないものもありました。その代表格が、


「日本人は親しくなると何故血液型を聞いてくるのか?」


というものでした。この質問をされるのは一度や二度ではなかったのです。私は誰かに血液型を聞くということは一度もなかったので理解ができなかったのですが、日本人の友人にこのことを話してみると「きっと、血液型を聞いて性格を分析しているんだよ」と返ってきました。ナルホド、目から鱗が落ちた瞬間でした。

ちなみに海外では怪我や病気などをして初めて自分の血液型を知るというケースが少なくなく、自分の血液型を知らないという人もたくさんいます。ですから、血液型を聞かれるという事自体が初めてという人もいますし、中には「日本人はみんな医者なのか?」と笑う人もいました。

いわゆる「血液型別性格判断」が存在するのは日本だけです(日本に影響を受けた一部の地域であるようですが)。日常会話の中で血液型の話題が出てくる事も多々あります。それだけ日本人の中に根付いている血液型ですが、ここではっきり申し上げておきます。

「血液型」と「性格」の関連は全くありません。

これは医学的にも言われていることであります。ですから、血液型別性格判断は根拠がないですし、それで人を判断するのは物事を見誤ることになるのです。こう書きますと

「いや、そんなことはない。私は性格から血液型を当てる事ができるし、経験上このような判断に間違いはなかった」

と言われる人もいるかもしれません。しかし、それは単なる「思い込み」であってバーナム効果と呼ばる「誰にでも当てはまるような特徴をあたかもピンポイントで当たっているかのように思い込んでしまう心理」の事です。例えば、

「ここは丁寧に進めたいと思う事柄がある」
「極力人と揉め事を起こさないように上手く人付き合いをする」
「疲れている時や時間がない時には普段とは違う感情や行動になる」
「これだけは譲れないと思えることがある」

上記のような事は誰にでも当てはまる事です。しかし、それぞれを「几帳面」「八方美人」「二重人格」「自己主張が強い」と言い換えて、それを血液型にはめ込めば該当するのは当然なのです。また、人間は「先入観や信念などを正当化する為に都合のいい情報だけを取り入れようとする」確証バイアスと呼ばれる傾向があります。「A型は⚪︎⚪︎である」という先入観を持っている人は「⚪︎⚪︎なA型の人」だけを注目するようになり、該当しないA型を排除しようとするのです。

間違った情報で考えれば事実を見誤ります。その人を知りたかった血液型を見るのではなく、人となりとしっかり向き合う事です。これでもなお「血液型と性格は関連がある」と信じているあなたは、どうか詐欺にひっかからないように注意してください。繰り返しますが「自分は正しい」と疑わない事が何がウソで何が本物かを判別できなくさせるのです。

第二十六語「老い」

誰もが避けて通る事の出来ない事というのはいくつかありますが、その一つが「老い」です。「歳は取りたくないなあ」こんな言葉を聞く事は珍しくないことであり、誰もがそう思う事柄であります。

まず、私の「老い暦」を紹介します。私が初めて本格的に老いを感じたのは28歳の時でした。ある所で勉強していた私は20代前半の人達とは明らかに体力や精神力が劣っている事を気付かされました。さらに学生の頃の勉強方法では頭に入らず、何倍ものの時間を費やしても成果が上がりませんでした。

若い頃は視力が良かった私ですが、30代後半から見え方に変化が出てきて38歳の時に老眼と診断されました。40代になるとアレルギーを発症し、花粉症、じんましん、喘息になりました。そして50歳前後で更年期による不調(気力、集中力が欠如しモヤモヤ感がある)が出てきました。更年期障害は女性だけのものではありません。もし同じような症状がある方で辛い方は医療機関で診断を受けるとよいでしょう。

こんな私ですが、意外にも老いという事に対してあまり否定的には考えていません。それはどうしてかというと、「避けて通れないものに逆らっても仕方がない」と思っているからです。私は旅行が好きです。30代くらいまでにはとにかく朝から晩まで旅行先で活動的に動いていました。例えて言うならば、午前と午後に観光名所を二つずつ計4ヶ所巡る計画を立て、場合によっては昼食を削ってでも行きたい場所に行く、そのような旅行スタイルでした。50代になった今は午前と午後に1ヶ所ずつのんびりと。疲れたらカフェでゆっくりしながらそこから見える景色や住む地元の人々の様子を眺める。そこには若い頃の旅行では経験できない、気づかなかった事にたくさん出遇いました。その時その時に「今しかできない」「今だからできる」旅行を楽しんでいます。訪れる事の出来なかった観光名所は…次回の楽しみとします。縁があればまた来ることが出来るでしょうから。

世の中にはアンチエイジング(老化に逆らう事)という言葉が踊ります。「年齢より若く見られる」多くの人はこうありたいと思うかもしれません。しかし、私に言わせればそれはどうでもいいことなのです(そう思う人を否定する訳ではありませんので、念の為)例えば、60歳の人が55歳に見られようが、40代に見られようがその人が60歳であるという事実は何にも変わりません。いくら外見が若く見られても「若さ」では40歳の人に逆立ちしても勝てないのです。しかし、勝つ必要はないのです。30歳には30歳の生き方が、50歳には50歳の生き方が、70歳には70歳の生き方があります。その時の自分に合った土俵で戦えばいいのです。老いても病気であって気力がなくても、その時に自分に最適な生き方があります。それは他人と比較すべきものではありません。過去の自分と比較すべきものでもありません。悲観する事でもありません。あなたはあなたなのです。歳を取る事を楽しむ生き方はいかがでしょうか?