第五語「御朱印」

ここ数年、御朱印がブームです。御朱印そのものは勿論のこと、御朱印帳やそれを入れて持ち運ぶバッグにも様々なデザインがあり、年齢問わず集める人がいるのも理解できます。

そもそも、御朱印とは何なのでしょうか?仏教において、功徳を積む為に写経(お経を書き写す修行)をし、それをお寺に納めた事(納経)を示す受領証が元々の御朱印なのです。しかし、現在では納経をしなくても一定の布施(数百円程度)をすることで貰えるお寺が増えています。

どこのお寺でも御朱印を取り扱っているかというそういうわけではありません。とりわけ、浄土真宗のお寺の多くでは御朱印がありません(八王子浄苑を管理する誓願寺でも御朱印の取り扱いはありません)。これにはいくつかの理由があります。浄土真宗は、阿弥陀仏に全てをまかせる「絶対他力」の教えであり、煩悩にまみれた私が功徳を積み上げることはできないので「功徳を積むための写経」という考え方はしません。

さらに、「御朱印集め」が単なる「スタンプラリー」化してしまっている現状では、「一度そのお寺の御朱印を貰ったらもう来ない」というふうになってしまいます。浄土真宗のお寺は「聞法(もんぼう、私のありのままの姿を知る為に仏教の教えを聞く事)の道場」という位置付けですから、何度もお寺にお参りをして聞法を繰り返す事が大切だと考えています。

しかし、浄土真宗では写経をしないかというとそういうわけではありません。それは前述のように「功徳を積む為」ではなく、「お経の意味を知り親しむ為」であります。また、写経というと「般若心経」を思い浮かべるかもしれませんが、その宗派でお勤めをするお経を写すことが望ましいでしょう。ちなみに、浄土真宗では般若心経をお勤めしないので写経もしません。(※お経については、第四語「お経」を御一読ください)

御朱印集めをしている人の振る舞いがどうなのかはわかりませんが、御朱印をもらってすぐにそのお寺を後にしているとするならばそれは残念な事だと思います。せっかくお寺にお参りをされたのですから本当ならば、そのお寺のお坊さんと話をしたり聞いたりするのが望ましいのですが、少なくてもご本尊に向かって合掌をすることは忘れないでください。ご本尊(仏様)に手を合わせるという事は、自分自身と向き合うことでもあるのです。

最後に余談ですが、私は御朱印よりも「鉄印」です。鉄印とは、40社の第三セクターの鉄道会社(元々、国鉄やJRだった路線を地元自治体と民間で管理、運営する鉄道)がそれぞれのオリジナルの鉄印を発行し、それを一冊の鉄印帳に集めるのです。いわば、鉄道版御朱印です。まだ、海外旅行が容易では無い現在、地域経済を回し経営の厳しい鉄道会社の助けとなる鉄印集めの旅はいかがでしょう?私は集め始めたばかりで完走は遠い先ですが。ご興味がある方はこちらを