「自分の事は自分が一番わかっている」日々の生活でよく聞くフレーズです。しかし、これは本当でしょうか?今、このコラムを読んでいるあなたはどう思いますか?もし自分の事は自分が一番わかっているならば、何故人は悩むのでしょう?自分の事をよくわかっているならば、自分の人生で悩みなど起きないのではないでしょうか。
私は時間があるとスポーツジムへ行って体を動かします。そこでいつもお見かけする70歳前後の男性がいます。毎回ほぼ同じ時間に行く事が多いのですが、その方を見かけるのは更衣室です。いつもお風呂上がりに時間をかけて頭髪をセットしています。自分のブラシを使ってドライヤーを当てながら20分くらい鏡に向かってリーゼントの様に前髪を立てています。当初は「とてもオシャレな人だなあ」と思っていましたが、何度も見かけるうちに失礼ながらこんな事を思い始めました。「これだけ時間をかけて何が違うのだろう」と。
ある時、いつもより早い時間に行ったので、運動後の浴室でお会いしました。洗髪をした後のその姿を見て思わず声が出そうになりました。「自然体でこっちの方がいいのに」はっきり申し上げますが、私の意見は余計なお世話です。私の意見が正しいとは思いません。ただ、私は時間をかけて変わり映えしない髪型よりも髪を下ろして自然体である方がダンディだと思いました。そこには本人とは違う価値観、モノの見方があるのです。
そんな私も自分が選んだ洋服を見た妻から「こっちの方が似合うよ」と言われる事があります。それは「自分が好き」と「自分に似合う」は必ずしも一致しないという事実を示しています。改めて思います。「自分の事をちっともわかっていないなあ」
「仏教とはどんな教えですか?」と聞かれる事がありますが、私はこんな風に答えることがあります。
「仏教とは仏様に『たかいたかい』をしてもらう事です」
皆さんも子供の頃にたかいたかいをしてもらった事があると思います。私も何十年経ってもその時の記憶が残っているのですが、父親がしてくれた時、視点が高くなって見える景色が変わったのは勿論、天井近くに迫った時に夏の暑さや普段気が付かない匂いを感じました。私達はいつも同じ視点、同じ価値観に埋没してしまっているが故に気が付かない事、忘れてしまっている事があります。それはまさに「自分の事は自分ではわかっていない」ということです。そのような私達が仏様の視点から自分自身の有り様を見つめるのが仏教です。仏様にたかいたかいをしてもらうことによって自分では気づかない自分の姿に出遇うのです。
具体的にはお仏壇やお墓に参りをするのもいいでしょう。そこに気づきが生まれるかもしれません。しかし、私がおすすめしたいのは、法話を聴くということです。自分の価値観や世間の常識というのは体の「コリ」のようなものです。そのコリをほぐすのは、まさにたかいたかいによって自分の視点が変わっていくことなのです。ただ、これだけは言っておきますが法話を聴くということに即効性はありません。一度や二度ではどうにもならないのです。それくらいあなたのコリは頑固なのです。習慣づいて何度も何度も聴いていくうちに、コリがあなたの年輪となっていくのです。
八王子浄苑では3月に彼岸法要、8月にお盆法要を行なっております。この場で法話があります。あなたが思っているほどお参りをすることのハードルの高さはありません。是非、気軽にお参りください。