第二十語「レレレのおじさん」

今年も残すところあと1ヶ月となりました。みなさんにとって今年はどんな年でしたでしょうか?やり残したことはありませんか?年末ということでこれから大掃除をする人もいるでしょう。ということで、今回は掃除の話を。

漫画『天才バカボン』にいつも路上を掃除している「レレレのおじさん」というキャラクターがいますが、これのモデルがお釈迦様の弟子であったという説があります(確証はありません)。その弟子の名前は周梨槃特(しゅりはんどく、チューラパンタカ)。兄も同じくお釈迦様の弟子で優秀であったのに対し、周梨槃特はとても出来が悪く自分の名前さえも覚えられなくて背中に名札を荷なっていたと言われています。

自分の出来の悪さに絶望した周梨槃特はお釈迦様の弟子を辞めようとします。するとお釈迦様は言いました。「自らの愚かさを知るものが賢い」と。そして、周梨槃特にほうきを渡し「塵を払い、垢を除かん」と言いながら掃除をすることを命じました。長い間、周梨槃特は一心に「塵を払い、垢を除かん」と唱えてほうきで掃除をしました。その中で払うべき塵や除くべき垢が自分の心にある事に気づき悟りを開いたのです。

紅葉シーズンの終わりに色づいた葉が落ちると一面が赤や黄色に染まります。「紅葉の絨毯」などと呼ばれますが、あれは他所の土地だから綺麗などと言えるのです。自分の家の庭ならば喜ぶどころか掃除をしなければならないので鬱陶しいだけです。同じ落ち葉であってもその場所によって自分の見方が180度変わる、それこそが私の心の塵や垢なのです。

年末の大掃除では必要のなくなったものを捨てるという人もいることでしょう。でも、おかしいと思いませんか?その捨てようと思っているものは、元々は必要だったものです。なぜ必要だと思っていたものが必要なくなったのか?それはその物自体が変化したというよりも、自分自身の心が変わったのです。欲しいと思って手に入れたものが必ずしも自分にとって必要であるとは限りません。何が言いたいかというと、それだけ私達の心は移ろいやすいのです。仏教の視点で言えば、私達の気持ちや考えは当てにならないということです。その当てにならないものを当てにしているから、私達は悩んだり、物事を見誤ったりするのです。

日々の生活では物事が上手くいかない時というのは少なくありません。もし、行き詰まったら今の自分の視点や考えから少し離れてみませんか?「正しい」「当たり前」という自分の決めつけが状況を悪くしている可能性があります。自分の心や身の回りを掃除してみましょう。気づかなかった塵や埃が溜まっているかもしれません。

最後に豆知識を一つ。周梨槃特が亡くなった後に彼のお墓から見た事もない草が生えてきたそうです。人々は「名札を荷なって」いた周梨槃特にちなんで「茗荷(みょうが)」と名付けたそうです。私は歳を重ねるごとに茗荷の美味しさがわかるようになってきましたが、周梨槃特にはなれそうにありません。

第十九語「ダウンジャケット」

秋が少しずつ深まり私達の服装も少しずつ厚着になってきました。つい先日まで残暑に悩まされていたのが嘘のようです。今回はダウンジャケットの話です。

今でこそ、ダウンジャケットは老若男女が気軽に手に入れて着る事の出来る冬の定番アイテムとなりましたが、私が高校生だった時には世間ではまだ市民権を得ておらず、まだ登山装備の範疇でした。今から30年以上前の話です。

登山部の友人に勧められた私はその軽さ、暖かさ、そして何より格好良さに一目惚れをし、バイト代を握りしめて神田にある登山用品のお店に向かいました。欲しかったブランドのモノは高すぎて手が出ませんでしたが、それでも35000円くらいのダウンジャケットを買いました。私のバイトの時給は500円の時の話なので平均時給からすると現在なら倍の値段です・・・でもその価値はあったと思います。登山仕様であるが故に丈夫であり10年以上着る事ができましたので。私の青春時代はこのダウンジャケットと共にあったと言っても過言ではありません。

今から25年くらい前の話ですが、東京全域で大雪が降った日に都内までお通夜に向かいました。都内でも20センチほどの積雪があったと思います。首都圏の高速道路はどこも通行止め、除雪が済んでいた中央道だけが30キロ規制でした。当時はまだスタッドレスタイヤが普及しておらず、チェーンを巻いて3時間くらいかけて行きました。その時の格好は衣ではなく、作務衣に長靴、そしてその上にあのダウンジャケットを羽織っていたと記憶しています。

あの時とは別物ですが、今もダウンジャケットを持っています。しかし、東京でも以前ほどの大雪が降るような寒さも少なくなり、それが活躍する時は一年に二、三回ほどです。もしかしたら、東京でダウンジャケットが不要になる時代が来るかもしれません。また、私達僧侶は6月と10月に文字通りの「衣替え」をするのですが、暦通りに行うと6月では遅すぎ、10月では早すぎであり地球温暖化をひしひしと感じています。もしかしたら、衣替えという言葉が死語になるかもしれませんね。ちなみに、江戸時代では年4回も衣替えをしていたそうです。