第十二語「世界に一つだけの花」

桜と言えば入学式というイメージでしたが、年々開花が早くなるとそのうち卒業式の代名詞になっていくかもしれません。俳句の世界では「花」と言ったら桜を指します。今回はお花の話。今や日本の代表曲にまでなった「世界に一つだけの花」。この曲は仏教と深い関わりがあるのをご存知でしょうか?

この曲の作詞をした槇原敬之氏が仏教との出遇いの中で歌詞のヒントになった一節が仏説阿弥陀経にあります。仏説阿弥陀経とは、浄土真宗や浄土宗の根本経典・浄土三部経の一つです。

「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」(しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう)
(極楽浄土の池に咲く蓮は青い花は青く輝き、黄色い花は黄色く輝き、赤い花は赤く輝き、白い花は白く輝いている)

「青い花が青く輝くのは当たり前ではないか?」そう思われた方もいるかもしれません。でも、私達は日々「青い花に違う色の輝きを求めるような独善的な考え」を持って生きています。親が子に、上司が部下に、あるいは様々な関係において「何でこんな事ができないのか?」「私がやっているのに何故お前はしない?」「もっとこうしろ」と相手の立場や能力を尊重せず自分中心でモノを見ているのです。仏教は平等を説きます。平等というのは決してイコール、つまり同じという意味ではありません。それぞれが独自に輝ける世界を平等というのです。

「ナンバーワンにならなくていい もともと特別なオンリーワン」

この曲の一番最後の歌詞ですが、これはお釈迦様の言葉が由来になっています。

「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)
(誰にも代わる事のできないたった一つの尊いいのちとして生まれた)

私達はいつも相対的価値観(他との比較によってその価値を評価する見方)に左右されています。誰かの劣る部分を見て優越感に浸り、誰かの優れた部分を見て劣等感に陥ります。しかし、相対的価値観というのはとても不安定です。これに縛られているから心が落ち着く事がないのです。

「ナンバーワンにならなくていい」という歌詞を「競争や努力の否定」と批判する意見を見ますがそうではありません。ナンバーワンになる、その為に努力をする、とても素晴らしい事です。しかし、ナンバーワンになれなかったとしても、努力が出来なかったとしてもそれだけでは語る事のできないその人の輝きがあるのです。

むしろ、「俺が努力して一人でナンバーワンになったんだ」という考えが物事を見誤る原因となります。その努力の裏には、指導してくれた人、支えてくれた家族、参考となる資料を作った人・・・多くの人たちのおかげがあったからこそ努力ができた事を忘れてはなりません。自分一人の力で努力できたのではないのです。今これを読んでるあなたは人間ですよね?人間とは「人と人との間に生きる」者を言うのです。自分は何一つ自分だけで完結できない存在である事に気づくからこそ、自分と誰かとの、自分とモノとの繋がりの尊さを有り難いと感じるのです。

勝ち負けでしか評価できない「結果至上主義」の怖さは、そのような見方をする人が「自分が負ける側になる可能性」に気づいていない事です。負けた人を蔑む者はいつか自分が蔑まれる立場になるのです。常に結果を出し続けなければならない世界が本当に生きやすいのでしょうか?素晴らしいのでしょうか?良い時も悪い時も、嬉しい時も悲しい時も、あなたは比べる事の出来ないたった一人のあなたです。この大切な事実をこの歌はあなたに問いかけて教えてくれています。

第十一語「坊主丸儲け」後編

前回に続き、坊主丸儲けの話です。今回は具体的な数字を通して話をしたいと思います。

厚生労働省発表の令和3年賃金構造基本統計調査の企業規模10人以上の宗教家(平均年齢46.2歳)の「きまって支給する現金給与額×12ヶ月」と「年間賞与その他特別給与額」の合計は534万6000円でした。宗教家という区分ですから僧侶だけではありませんし、この数字は10人以上の宗教家が在籍をする宗教法人の結果ですので、そのような大規模の宗教法人は収入も多く一般的なお寺と単純に比較はできないかもしれません。

浄土真宗本願寺派が令和3年に同宗派の1万寺超に行った調査(第11回宗勢基本調査中間報告)によると、50%の寺院の年間収入が400万円未満、24%が500万円〜1000万円でした。「お寺の収入=僧侶の年収」ではありませんので、ここからお寺の維持にかかる費用や将来必要となる改修費用等の積み立てなどを引いた場合、上記の534万円はもとより、給与がほとんど出ないという事も珍しくはありません。

私は以前、気の置けない友人達とのお酒の席で年収の話になり、自分について話をすると「世間のイメージとは大違い」「苦労している割に貰っていないんだな」と同情され、嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちになったのを覚えています(私には定期昇給もベースアップもありません)。

「高級車を乗り回し、豪遊する姿は坊主丸儲け」、そういう生活をしている僧侶が一部とは言え存在し、批判の対象となっていることは承知しています。しかし、私は僧侶であるならばそれが自分のあるべき姿かどうかは、教えに照らして本人が感じ気づくことであり、他の僧侶が言うべきことではないと思います。ただ、私のような貧乏性の人間からすると「異次元の話」という感じがありますし、うしろ指をさされようが我が道を行ける程肝が据わっているのは、「ある意味」僧侶としての資質を持っていると言えるのかもしれません。

この手の話になると、ネット上では「坊主丸儲け」の単語が並びます。全てがウソだとは言いませんが、それら話はイメージや思い込みで語られているものや「私の近所のお寺が高級外車に乗ってる」のような、どこのどのお寺の事で発言者は誰かわからない真偽不明なものばかりです。また、どのような意図かわかりませんが、悪意があるものや印象操作をしている記事もあります。実は前回と今回、2回に渡って「坊主丸儲け」の話を書いた趣旨は「世間で思われている程、お坊さんは高給取りではない」という弁明ではなく、不確実なモノに振り回されてしまいがちな私達の危うさを考えるきっかけとなればと思いこのお題を選んだのです。たった数人、あるいは一部分を見てあたかも全体がそうであるかのように思い込むのは真実を見誤ります。「坊主は」「日本人は」「黒人は」「ムスリム(イスラム教徒)は」と、十把一絡げにして主語を大きくしていませんか?

以前、八王子駅前に高層マンションができた時に、芸能人の誰々が買ったという噂があちこちで聞かれました。しかしその後も「あれはウソだった」という声も聞かれず、噂はいつの間に消えてなくなりました。巷にもネット上にも真偽不明の話はたくさんありますが、それらを信じている人は少なくありません。もしかしたら、あなたが信じているその話も本当かどうかはわかりません。信じるに値するような確証はありますか?「テレビ、新聞が言ってたから」という人がいますが、残念ながらマスコミの言うことが全て正しいとは言えません。信用する前にその情報が本物かどうかを自ら調べる習慣を身につけるべきでしょう。世の中には「真実より本物っぽいウソ」がたくさんあるのです。

最後は落語家の故・立川談志さんがタクシーに乗った時に運転手から「アンタたちの仕事は楽でいいよな。俺たちはこんな苦労していくらしかもらえない」と言われた時の返答を紹介してこの話を終わりたいと思います。

「その通りだよ。なんであんたやんないんだい?」

【出典】
令和3年賃金構造基本統計調査 表番号1 (厚生労働省)
第11回宗勢基本調査中間報告 問43(浄土真宗本願寺派)