第二十五語「母の日」

5月は母の日があります。毎年思う事なのですが、母は偉大でありますから感謝の気持ちを表すのは当然の事なのですが、それに比べて父の日の扱いが小さい感じがします。父もまた偉大であります。

昨年の母の日にSNSでこんな投稿が話題になりました。中学三年生の息子さんが母の日に花をくれたのですが、その花が仏花(菊の花)だったそうです。親として傷つけず間違いを正す方法とタイミングがわからない、というものでした。その投稿に対して様々な意見が寄せられていました。

私がこの投稿を見て思ったのは、母親として「素直に嬉しい」と思ったのであればそれでいいと終わる話だと感じました。仏花である事はこれから成長する過程で自然に覚えることであり、それを正すより誰かの事を思う気持ちがある息子さんを誇りに思ってあげる事の方が大切だと思います。

仏花とは仏様にお供えする花の事ですが、そもそも仏様とは何でしょう?この話を細かくし始めたらいくら時間があっても足りないのでこの場では割愛しますが、「私を真実へと導いてくださる尊い存在」と解釈していただければいいかと思います。ただ、これだけは申し上げておきますが「仏様=死者」ではありません。ですから、もし前述の息子さんがお母さんの事を仏様のように思っていたとしたら、仏花をプレゼントしたのは正しかったと言えるでしょう。

「仏花なんて縁起でもない」そう思うかもしれませんが、実は母の日に菊を送る習慣がある国もあります。というのも、菊の学名はクリサンセマムと言い略してマムと呼ばれますが、母親を表すマムと発音が同じだからです。そして忘れてはならない事は、カーネーション自身は「母の日の象徴だ」と思いながら咲いているわけでもなく、菊は「私は仏花である」と思って咲いているわけではありません。「カーネーション=母の日」「菊=仏花」と決めたのは人間のご都合なのです。私達は何かにつけて「常識」という言葉を使いたがり、この言葉を基準に物を考えています。では、法要中の私語は常識でしょうか?非常識でしょうか?私は法要は厳粛な場ですの私語は控えていただきたいと思っていますが、我慢できない方は残念ながら少なくはありません。おそらく御本人は自覚がないと思われますので、酷い場合は読経を止めてでも注意させて頂いております。仏花が仏様へのお供えであると同様に、参列者一人一人もまた仏様への大切なお供えであるのです。

仏花に関してもう一つ。ネットで検索しますと「仏花は造花でも良い」という記述をいくつも見ますが、私は賛同はしません。「大切な事はご先祖様を思う気持ちです」というフレーズと共に造花を認めているサイトもありますが、「ご先祖様を思う気持ちが造花という作り物でいいのか?」と思えてしまいます。生花は枯れていく事から仏教の本質の見方である「諸行無常」を表しています。ですから仏花は生花である事が望ましいです。いつも生花をお供えする事は難しいですが、もし「面倒くさいから」という理由で造花を供えるならばそれはもう仏花ではありません。

八王子浄苑では供花やお墓の掃除の代行を行なっております。ご質問、お申し込みは管理事務所までお気軽にお電話ください。