桜と言えば入学式というイメージでしたが、年々開花が早くなるとそのうち卒業式の代名詞になっていくかもしれません。俳句の世界では「花」と言ったら桜を指します。今回はお花の話。今や日本の代表曲にまでなった「世界に一つだけの花」。この曲は仏教と深い関わりがあるのをご存知でしょうか?
この曲の作詞をした槇原敬之氏が仏教との出遇いの中で歌詞のヒントになった一節が仏説阿弥陀経にあります。仏説阿弥陀経とは、浄土真宗や浄土宗の根本経典・浄土三部経の一つです。
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」(しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう)
(極楽浄土の池に咲く蓮は青い花は青く輝き、黄色い花は黄色く輝き、赤い花は赤く輝き、白い花は白く輝いている)
「青い花が青く輝くのは当たり前ではないか?」そう思われた方もいるかもしれません。でも、私達は日々「青い花に違う色の輝きを求めるような独善的な考え」を持って生きています。親が子に、上司が部下に、あるいは様々な関係において「何でこんな事ができないのか?」「私がやっているのに何故お前はしない?」「もっとこうしろ」と相手の立場や能力を尊重せず自分中心でモノを見ているのです。仏教は平等を説きます。平等というのは決してイコール、つまり同じという意味ではありません。それぞれが独自に輝ける世界を平等というのです。
「ナンバーワンにならなくていい もともと特別なオンリーワン」
この曲の一番最後の歌詞ですが、これはお釈迦様の言葉が由来になっています。
「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)
(誰にも代わる事のできないたった一つの尊いいのちとして生まれた)
私達はいつも相対的価値観(他との比較によってその価値を評価する見方)に左右されています。誰かの劣る部分を見て優越感に浸り、誰かの優れた部分を見て劣等感に陥ります。しかし、相対的価値観というのはとても不安定です。これに縛られているから心が落ち着く事がないのです。
「ナンバーワンにならなくていい」という歌詞を「競争や努力の否定」と批判する意見を見ますがそうではありません。ナンバーワンになる、その為に努力をする、とても素晴らしい事です。しかし、ナンバーワンになれなかったとしても、努力が出来なかったとしてもそれだけでは語る事のできないその人の輝きがあるのです。
むしろ、「俺が努力して一人でナンバーワンになったんだ」という考えが物事を見誤る原因となります。その努力の裏には、指導してくれた人、支えてくれた家族、参考となる資料を作った人・・・多くの人たちのおかげがあったからこそ努力ができた事を忘れてはなりません。自分一人の力で努力できたのではないのです。今これを読んでるあなたは人間ですよね?人間とは「人と人との間に生きる」者を言うのです。自分は何一つ自分だけで完結できない存在である事に気づくからこそ、自分と誰かとの、自分とモノとの繋がりの尊さを有り難いと感じるのです。
勝ち負けでしか評価できない「結果至上主義」の怖さは、そのような見方をする人が「自分が負ける側になる可能性」に気づいていない事です。負けた人を蔑む者はいつか自分が蔑まれる立場になるのです。常に結果を出し続けなければならない世界が本当に生きやすいのでしょうか?素晴らしいのでしょうか?良い時も悪い時も、嬉しい時も悲しい時も、あなたは比べる事の出来ないたった一人のあなたです。この大切な事実をこの歌はあなたに問いかけて教えてくれています。