第三十二語「先祖」

みなさんは「先祖」と聞くとどんなことを思い浮かべるでしょうか?おじいちゃんやおばあちゃん、あるいは「⚪︎⚪︎の一族である私」と人によって様々であるかと思います。では、質問を変えて。先祖とは一体どれだけいるのでしょうか?また、あなたにとって先祖とはどのような存在でしょうか?

私たちには誰しも父親と母親が一人ずついます。つまり、一代遡ると先祖は2人。おじいちゃんとおばあちゃんは父方、母方と2人ずつ4人。ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんは4人ずつ8人。一代遡るごとに倍に増えていきます。つまり、2+4+8+16・・・と計算していくと10代前の先祖は1024人(1から10代の合計では2046人)います。仮に一代30年とすると300年。ちなみに300年前は江戸時代中期で徳川吉宗の時代です。20代前では約105万人(1から20代の合計210万人)で、600年前は室町時代でした。そして30代まで遡るとなんと約10億7000万(1から30代の合計約21億5000万人)です。900年前は平安時代末期、中尊寺金色堂が建立された頃です。 

少し整理してみましょう。
現在    私(1人)     人口1億2000万人(現在)
300年前  先祖1024人     人口3000万人(江戸時代)
600年前  先祖105万人   人口1500万人(室町時代)

ここから見ると室町時代の14人に一人は私と血縁関係があることがわかります。更に遡っていけば先祖の数が人口を上回ります。その昔「人類みな兄弟」というCMがありましたが、その意味が数字上も理解できます。世界では戦争や紛争が絶えませんが「世界の全ての人々が血縁関係がある」という視点に立つことができれば、争いも起きないのかもしれません。

そして、忘れてはならないことは、このたくさんの先祖のうち一人でも存在しなければ、私は今ここにいないという事実です。長い年月にたくさんの先祖によってこの私のいのちまで途切れることなく受け継がれてきたことは奇跡以外何物でもありません。それは単に「いのちの継承」というだけでなく、たくさんの先祖の「想いの継承」でもあるのです。

「何故法事を勤めるのか?」「何故お墓参りをすべきなのか?」という質問を頂きます。この問いに一言で答えるならば「自己を知る」ということだと思います。これは私の意見でありますが「亡くなった人を偲ぶ」ということは「手段」であって「目的」は「私のいのちを想う」ということだと思います。勿論、亡くなった人を偲ぶことは大切であります。しかし、それで終わるのではなく大切な人の死が「私の眼を今まで向かうことがなかった『自分自身のありよう』に向けさせてくれた」という事実を通して、「私の本当の歩む道」を見定めることが大切なんだろうと思います。仏様となられた大切な人もそのような「私の確かな歩み」を願っていらっしゃることでしょう。仏事は私のためにあるのです。お墓は自分を見つめる機会を与えてくれます。

第三十一語「大谷翔平」

今年も素晴らしい活躍でした。もうこの一言以外に言葉が見つかりません。この人は一体どこまで進化していくのでしょうか?驚きとワクワク感しかありません。

あるお寺の掲示板にこんな言葉がありました。


「私は大谷翔平になれないが、大谷翔平も私にはなれない」

さて、この言葉を見てあなたはどう思ったでしょうか?
「当たり前じゃないか!」
「大谷翔平は私になんかなりたいはずがない」
「そもそも大谷翔平は私のことなんか知らない」

質問を変えましょう。もし、あなたが大谷翔平になることが出来るとしたらなりたいですか?私はというと、なりたいとは思いません。何故かというと「大谷翔平の人生は中身も大谷翔平であるから歩むことができる」のです。中身が私ではあそこまで自分を律しパフォーマンスをすることは無理なのです。きっと常にプレッシャーの中で生き続けるのは苦しいです。私にとってはちっとも幸せとは言えないと思います。

私が大谷翔平の人生を歩むということは、私が私でなくなるということであります。今日まで歩んできた自分の人生が素晴らしいものだったと胸を張って言うことはできませんが、私が私でなくなるということは、家族も友人も今まで出遇った人々も全てなかったことになるのです。それは嫌です。

私達は誰かの人生に憧れることがあります。でもそれは、「その人の見ることのできるいい部分しか見ていない」のです。その人が見えない所でどれだけ努力をし、辛い思いをしているかはわかりません。私達が見ることのできる大谷翔平はマスコミが報道する事柄だけで、それは彼のほんの一部分でしかありません。

逆に大谷翔平があなたの人生を歩むことが出来たとしても、あなたの人生がより良いものになる保証はどこにもありません。あなたの人生はあなたにしか歩むことはできません。あなたの人生はあなたが適任なのです。

「自分の人生は今日までいいものではなかった」そう思うならば変えることができるのもあなたしかいません。大谷翔平にはできないが、あなたにはできることがあります。生きるということはそういうことなのだろうと思います。「容姿がいい」「財産がある」「能力がある」これらが幸せの条件ではありません。むしろ、これらが不幸を招くこともあります。何かを手にいれることが幸せでありません。本物の幸せとは私がこの身で感じるものです。

あなただからできる、あなたしかできない道を歩んでいきましょう。