第十九語「ダウンジャケット」

秋が少しずつ深まり私達の服装も少しずつ厚着になってきました。つい先日まで残暑に悩まされていたのが嘘のようです。今回はダウンジャケットの話です。

今でこそ、ダウンジャケットは老若男女が気軽に手に入れて着る事の出来る冬の定番アイテムとなりましたが、私が高校生だった時には世間ではまだ市民権を得ておらず、まだ登山装備の範疇でした。今から30年以上前の話です。

登山部の友人に勧められた私はその軽さ、暖かさ、そして何より格好良さに一目惚れをし、バイト代を握りしめて神田にある登山用品のお店に向かいました。欲しかったブランドのモノは高すぎて手が出ませんでしたが、それでも35000円くらいのダウンジャケットを買いました。私のバイトの時給は500円の時の話なので平均時給からすると現在なら倍の値段です・・・でもその価値はあったと思います。登山仕様であるが故に丈夫であり10年以上着る事ができましたので。私の青春時代はこのダウンジャケットと共にあったと言っても過言ではありません。

今から25年くらい前の話ですが、東京全域で大雪が降った日に都内までお通夜に向かいました。都内でも20センチほどの積雪があったと思います。首都圏の高速道路はどこも通行止め、除雪が済んでいた中央道だけが30キロ規制でした。当時はまだスタッドレスタイヤが普及しておらず、チェーンを巻いて3時間くらいかけて行きました。その時の格好は衣ではなく、作務衣に長靴、そしてその上にあのダウンジャケットを羽織っていたと記憶しています。

あの時とは別物ですが、今もダウンジャケットを持っています。しかし、東京でも以前ほどの大雪が降るような寒さも少なくなり、それが活躍する時は一年に二、三回ほどです。もしかしたら、東京でダウンジャケットが不要になる時代が来るかもしれません。また、私達僧侶は6月と10月に文字通りの「衣替え」をするのですが、暦通りに行うと6月では遅すぎ、10月では早すぎであり地球温暖化をひしひしと感じています。もしかしたら、衣替えという言葉が死語になるかもしれませんね。ちなみに、江戸時代では年4回も衣替えをしていたそうです。

第十八語「和顔愛語」

今回の一語は「わげんあいご」と読みます。意味は「和やかな顔と慈愛の言葉で接する」で、浄土真宗の根本経典の一つである『仏説無量寿経』の中に出てくる言葉です。そしてこのお経の中で和顔愛語に続くのが「先意承問(せんいじょうもん)」という言葉で「先に相手の思いを察して受け入れる」という意味です。しばしば、和顔愛語と先意承問はセットで考えられます。

皆さんも一度は聞いたことのある言葉に「布施」がありますが、これを「お坊さんに渡すお金」と思う方もいるかもしれません。しかし、布施は仏教における修行を指す言葉で相手に施すものは形のある物質とは限りません。和顔愛語も立派な布施行の一つであります。

和顔愛語は布施行ですから「相手の為」であるのですが、同時に「自分の為」でもあるのです。「相手を思いやって行動を起こす」ということは、自分に余裕がないとできないことです。「時間がない」「忙しい」「疲れている」こんな時は他人を構うことはできません。余裕の無さはミスや判断の間違いを引き起こします。「相手に笑顔を見せ、優しい言葉をかける」ことは自分自身の今の状態を知るバロメーターとなるのです。

世界では今も争いが起こっていますが、あなたにお聞きします。

「世界平和の為の第一歩」とはどんなことをすることでしょうか?

「兵器を廃絶する」「法律を作る」「政府や国家に訴えかける」どれでもありません。世界平和への第一歩、それは「この私が自分の愚かさに気づく事」です。いつも自分が正しいと思いと信じて疑わない人は「正義」を振りかざします。正義の名の下に人はどんな残酷なことでもしようとします。他人がミスをすれば裁判官になり「お前が悪い」と責め立てますが、同じミスを自分がすると今度は弁護人になって「仕方なかった。そんなつもりはなかった。」と言い訳をするのです。国家間の戦争も、夫婦喧嘩や友人同士の喧嘩も根っこは同じです。自分に都合いい考え方、自分中心の考え方が結果的に周りだけでなく自分自身をも苦しめるのです。和顔愛語は自分も相手も穏やかにさせます。そしてその穏やかな心は伝播していきます。本当の幸せは自分だけでなく、みんなで感じるものだと和顔愛語は教えてくれます。

「あの人モテるよね」「あの人の周りにはいつも人が集まるよね」そう言われる人というのは笑顔が素敵な人が多いような気がします。笑顔が人を惹きつけるのでしょう。女性シンガーソングライターのJUJUさんの代表曲『奇跡を望むなら…』にこのような歌詞があります。

「シアワセにはふさわしい笑顔があるはず」

幸せだから笑顔になるのではありません。笑顔だから幸せなのです。